岡田有希子が自殺した1986年4月、世の中では何が起きていたのか【宝泉薫】
話を冒頭に戻すと、岡田の自殺現場で毎年出現する光景にも死の香りがして、無常観のようなものが漂っている。それこそ、最近話題になったドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)には、不適切があふれていた時代として「1986年」の芸能界が出てきたが、彼女について触れられることはなかったようだ。当時と今とのギャップで笑わせつつ、変わらないはずの人情の機微で感動させようとした軽み重視のこの作品において、手に負えるものではなかったのだろう。
そもそも当時、彼女の自殺は「不適切」なものとして、禁忌事項となった。新曲は発売中止、テレビやラジオで彼女の姿や歌を見聞きすることもできなくなった。その死が青少年の自殺を誘発したという「ユッコシンドローム」対策がその根拠だが、実際には彼女の死の前から青少年の自殺は目立ちつつあり、おそらくチェルノブイリの事故も青少年の厭世的な思いを増幅させたのではないか。
当時を知るファンには大なり小なり、彼女の死が「不適切」とされたことへの無念があり、死後ファンになった人にもそのあたりの事情を知る人はいる。そのためか、黙祷が終わり、仕切り役の男性が「ひと区切り」的なあいさつをしても、立ち去る人はごく少数だった。
筆者は人込みと集団行動が苦手なので、1、2分で立ち去れたが、そうしたくない人たちの気持ちもわかる。「滅亡の美しさ」に魅せられ、無常観や憐憫、未練、憧憬といったものを抱きながらそこに集まる人たちにとって、彼女がいるかもしれない冥界と年に一度つながることができるかのようなその場所をすぐには離れがたいのも当然だ。
そのカオスな光景もまた、彼女が命と引き換えに遺した作品といえる。そして、そこまでして生きるに値する芸能界の凄みを教えてくれるようでもある。
そんな芸能の魅力の前に、不適切がどうとかこうとかなど些末なことだ。不適切にもほどがあるどころか、美や感動においては「不適切などほとんどない!」に決まっているのだから。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)